娘が海外の高校へ行きたいと言い出した時、まさか現実になるとは思いませんでした。その約半年後には、中学3年生だった娘は海外へと飛び立ちました!!
当時中学2年生だった娘は、海外の高校へ行きたいかも!と言い出しました。えっ?高校生で?ちょっと早くない?というのが私の率直な感想でした。
定期テスト勉強中のおやつタイムの会話から飛び出した話です。娘は以前からそう思っていた訳ではなく、何気ない会話から、ふと思ったようでした。
私も、その時は「いいんじゃない。そういう選択もあるかも。」と答えました。2人でネットで早速調べました。しかし、コロナ禍での留学はそう簡単ではありませんでした。
コロナで留学がストップしている国が多く、その時点で留学を推進しているのはフィジーだけでした。本当に行くの??と心の中では思いながら、急いでフィジーの資料を取り寄せました。フィジーの場合、(娘にとって)中学3年生の6月には留学がスタートするプログラムの応募が開始されていました。(その時点で娘は中学2年生の1月下旬)
娘は中学3年生の間に行きたい!!という強い希望がありました。それは、留学して半年間は絶対に色々な面で辛いだろうから、同級生も受験勉強で辛い思いをしている同じ時期に行けば、自分も頑張れそうという理由でした。
それはもちろん、ごもっともな意見ですが、あなたの日本の中学生活は捨てていいの?終わりにしていいの?と何度も聞きました。娘は中学生生活をとても楽しんでいたからです。部活でも結果を残していましたし、、友達や先生とも良い関係を築いていました。
娘は、自分の将来の為には中学3年生の一年間は犠牲にできる、しかも日本にいても受験勉強との戦いだからね、と。
この考えを聞いたときは、親ながら少し驚きました。。
娘が初めて留学に行きたいと思い描いた生活はイギリスでの寮生活のようでした。ハリー・ポッターの影響だと思います。娘がハリー・ポッターの映画を見始めたのは小学校6年生から中学1年生の頃で、周りの子に比べて遅かった為、これから自分が辿る高校生活と重ねて憧れて見ていたのかもしれません。
しかし、イギリスはその頃ロックダウンしており、留学は受け付けていませんでした。しかも、留学費用がとても高く、サラリーマン家庭の我が家には払える金額ではありませんでした。
そんな中、白羽の矢が立ったのがフィジーでした。まだ留学させるかもはっきり決断できていませんでしたが、とりあえずフィジ−留学協会に問い合わせをしてみました。
イギリス留学を思い描いていた娘でしたが、コロナ禍の苦境を目の当たりにして、自分の理想を掲げている場合ではないと思ったようで、取り敢えず英語で日常生活を送れる国であれば、どこでもいいと考えをかえました。
しかし、なんと、、、、、2週間前に応募は締め切ってしまったとのこと、、、。
私は残念とは思いつつ、心の中で少しホッとしたのを覚えています。
しかしながら、娘はそれでも絶対に諦めない、他に行ける国を探すと固い決意を示しました。探し始めてから数週間した頃、カナダのいくつかの州が留学を再開したという情報を掴みました。
娘が留学をしたいと言い出してから渡航するまで、「やっぱりやめようかな。」と口にしたことは一度もありませんでした。
もし娘が渡航直前になって、やっぱり不安だからやめたい、と言ったら私は受け入れるつもりでした。まだ、中学生だし、手元においておきたい、という思いがあったからです。親のそんな思いとは裏腹に準備は着々と進んでいきました。
そして、娘の強い意志が固まり、留学先情報も集まって、留学への道筋がみえた時、娘は父親に相談しました。きちんと決意と準備をした上で、その話を切り出したようです。
主人はちょっと驚いていましたが、行くからには全力で!とすんなりOKしていました。娘も私も少し意外でした。。本当に15歳の女の子を一人で海外へ行かせていいの!!と内心思いました(笑)
その後は父親も含め3人で留学フェアなどに参加して、留学準備や高校のリサーチに追われました。
高校留学(3年間)をする!!という事は家族の決断として決まりましたが、実はここからが試練が始まりでした。
娘が留学できる高校がない!!という問題に直面したのです。
この話は次回書いていきたいと思います。
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