以前、アメリカ人、オーストラリア人、ヨーロッパ人のホストファミリーをしていました!

ホストファミリー

学生時代から20代まで、実家で4人の留学生のホストファミリーを経験しました。

1人目

初めての留学生はドイツ人の女子高生!!

一ヶ月くらいの短い期間でしたが、初めての経験だった為、超お客様扱いで受け入れました。

大人しい子で、あまり日本語も話せなかった為、意志の疎通に少し困りましたが、私にとっては英語で日常を送るとても良い経験になりました。優しい子で、私達家族はとても可愛がっていました。でも、彼女にとってはとても大きな環境の変化だったようで、顔にニキビがどんどん増えていきました。

こちらに不満を言うことなく、多分我慢していたのだと思うと可哀想でした。

それでも良い関係を築くことができました。彼女が帰国した2年後に、私は友人とのヨーロッパ旅行の際、彼女の家に遊びに行きました。彼女は、私の母がプレゼントしたパーカーをとても気に入っていてよく着ていると見せてくれたのを覚えています。

2人目

2人目の受け入れは、スウェーデン人の大学生の男の子!

私と同い年のとてもイケメンな男の子でした!

最初は、こんな子と暮らすのは、ある意味いろいろ気を遣って疲れそうだな〜と思いました。しかし、日常を一緒に長く過ごすと兄弟のような関係になり、寝起きのボサボサを見られても、気にしなくなりました。。

この子は本当に私の人生を大きくかえるきっかけをくれたような気がします。国籍や性別、育った場所などを全く気にせず、その人個人を見て信頼し、関係を気付いていく大切さを知りました。

彼は大学の留学プログラムの半年間が終わってもしばらく滞在し、一年間くらい日本にいました。

私はその数年後、母とスウェーデンを訪れて彼と再会し、ストックフォルムを案内してもらいました。そして、母は帰国しましたが、私は彼の実家まで行き泊まらせてもらい彼の家族とも一緒に過ごしました!!彼同様に素敵な家族でした。

彼は私の主人とも結婚前に数回会っていたので、私の結婚式の際には、スウェーデンから駆けつけてくれて人前式の司式者を務めてくれました。私は結婚式後、すぐに新婚旅行に行ってしまいましたが、彼は実家で私の両親と兄と数日過ごしてから帰国しました。

私の母ともとても良い関係だったので、安心して私は新婚旅行に行かれました。彼は留学中、料理作りが大好きな母にスウェーデンの料理を教えていました。シュットボールポト−ティスリンゴンシルというスウェーデンの伝統的な料理は母の得意料理になりました。

その後、彼が日本を数回訪れたり、私もスウェーデンを訪れたりして、今でも交流は続いています。彼の結婚式にも呼んでもらいましたが、私は子供が生まれたばかりだったので、残念ながら参加できませんでした。

3人目

3人目の留学生はアメリカ人の男子大学生でした。

今までホストファミリー生活が順調だっただけに、、、今回はとても戸惑いました。彼の留学目的が、日本人の彼女に会う為だったのです。私達家族が初めて彼と大学で会った日に、私達はレストランでの食事を予約していました。その場になぜだか日本人の女の子も付いてきたのです。びっくりしましたが、そのままの流れで彼女も一緒に食事をすることになりました。その会の間、ずっと二人で英語で話していました。私達とはほとんど話さずに。。。なんかちょっと変だな〜と思いながらも、こういうケースもあるかと割り切っていました。

しかし、その後毎日彼女は我が家に来て、彼の部屋で過ごしました。そして、そのうち冷蔵庫を勝手に開けて飲み物を取り出すようになりました。

さすがにおかしいと、母が注意しました。比較的大人しく、服装も地味めでしたが、行動が大胆な子でした。母が「あなたの家に彼を呼んだら?」と提案したら、「うちの両親は駄目だというので、、」と。「では、なぜうちならいいの?あなた達カップルのために用意した部屋ではないのよ?」と厳しめに伝えました。しかし、、それでも彼女はうちに来続けるので、大学に相談しました。そうしたら、彼の日本人の友達の家に居候することになりました。こんな形で今回のホストファミリー生活は終止符を打ちました。

その後、その日本人の友達の家にも日本人の彼女が上がり込んできたようで、結局彼は強制帰国になったようです。

4人目

4人目の留学生はオーストラリアの女子高生です。この頃、私はすでに結婚していましたが、知り合いから実家の方にホストファミリーをやってくれないかと、依頼がありました。一ヶ月弱くらいだったので引き受けることにしました。

実家と自宅を行き来しながらホストファミリーとして過ごしました。

私が高校生の頃に初めて経験した留学先がオーストラリアだったので、親近感が湧きました。そこから、私の世界が海外へ向いていったので、彼女を応援する気持ちで日本語を教えていました。

このような環境下で過ごした私が、また20年後にホストファミリーをやることになったのは、母の大きな影響だと思います。そして今、自分の高校生の娘がカナダでホームステイをしています。

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